1つの文学作品を複数の編訳で読み比べ

世界的に有名な文学作品は様々な言語に翻訳されています。そして1つの言語、例えば日本語でも何人もの翻訳者・出版社の訳編が人々に読まれています。有名どころでいうと『赤毛のアン』があります。同作の訳者といえばNHKの朝ドラ『花子とアン』の村岡花子さんを思い浮かべる方が多いかもしれません。しかしネットで検索したところ確かな数字は分かりませんが、これまでに10人くらいの方々が同作を翻訳されているようです。訳者の比較をしているサイトもあり、読者によって「推しの翻訳者」について熱く語っているのが興味深いです。ご興味のある方は是非検索してみてください!


さて、上記では英語→日本語の編訳について書きましたが、今回ご紹介したいのは日本のベストセラー絵本『ぐりとぐら』(なかがわ えりこ、おおむら ゆりこ作) のベトナム語訳版です。同作は1963年に福音館書店から出版され、長きにわたり子供から大人まで広く読まれている絵本の1つです。この『ぐりとぐら』は、現在までに"Guri và Gura"のタイトルでベトナムの出版2社からベトナム語訳が出版されています。1つはHồng Đức出版(2016)から、もう1つはMore Production(2020)です。More Production編訳の方は、私も校閲に携わらせていただきました。


そして、実は私も「いつか日本の絵本をベトナム語に翻訳したいなぁ」と、漠然と考えていた今から5,6年ほど前に個人的に同作を翻訳したことがあります。More Productionさんから訳原稿をいただいた際に、そういえば自分でも翻訳したなぁと保存していたデータを引っ張り出しました。当時の私は絵本の校閲も翻訳出版も未経験でしたから、今読み返すとイマイチな表現もありますが、なかにはベトナム語ネイティブの訳者さんと一言一句同じに訳出している文章もありました。


絵本は一般的に言葉が少なく文章が短いので、翻訳は簡単なように思われるかもしれません。しかし、作品によって台詞や擬音、感嘆詞が多かったり、幼児言葉だったりします。そのため、いかにして忠実にニュアンス、ユーモアを訳出するかがなかなか難しいのです。出版2社と私の訳文を読み比べてみると「なるほどこう訳したか!」と思うところや、「私にはこの表現は思いつくことができなかったなぁ…」と思うところと様々。


特に私は日本語を母国語としベトナム語は外国語なので、どうしてもベトナム語ネイティブの方には語彙や表現で及ばず、日本語→ベトナム語の翻訳(特に柔らかいor砕けた文章)に苦手意識があります(越日・日越どちらの翻訳も得意という訳者さんは本当に尊敬します…)。そのなかで、私の訳出と同じ文章を発見すると「ネイティブの訳者さんと同じだ!」と嬉しくなりました。


以下に絵本の冒頭の文章を原文と3つの編訳で比較します。

「のねずみの ぐりと ぐらは、おおきな かごを もって、もりの おくへ でかけました。」

HĐ→ Hại bạn chuột đồng Guri và Gura xách chiếc giỏ lớn đi sâu vào rừng.

MP→ Hai bạn chuột đồng Guri và Gura xách một chiếc giỏ to đi vào rừng sâu.

Taz→ Hai chú chuột đồng Guri và Gura xách chiếc giỏ to đi vào rừng sâu.


3つの訳出の違いにお気づきでしょうか。それぞれ訳出が違う部分を太字にしてみました。

絵本ではよく動物を擬人化しますが、その際に訳者によってbạnを使ったりchúを使います。「おおきな」の訳出は物の物理的な大きさを示すtoと規模の大きさを示すlớnで分かれています。「かご」については、英語で言うところのa/anをつけるつけないの違い。動作と動作の間に敢えて原文にはない「そして/ và」を入れたり、「もりのおくへ」も語順が異なることで頭に描けるイメージが少しずつ違います。


冒頭の1文だけでもこれだけの違いが出てくるのです。過去に「翻訳者のボキャブラリーと訳語の選り好み」でも言葉選びについて書いていますが、訳者によって作品全体の雰囲気も変わってきますし、それが翻訳の面白さ、奥深さだと思います。


残念ながらHồng Đức編訳版は既に販売中止となっています(ベトナムでは売切れ御免で増刷されないことが多いです)。More Production編訳は発売中で、ベトナムなら同社や関連店舗から直接または大型書店等で購入可能です。日本国内だと穂高書店さんで注文しベトナムから取り寄せてもらえるようですので、読んでみたいという方は是非!



写真は『ぐりとぐら』の原作と上記で比較した3社(者)の編訳。左上から下に向かって…『ぐりとぐら/福音館書店 1963』、『Guri và Gura /NXB Hồng Đức 2016?』、『Guri và Gura /More Production 2020』、右側のA4の紙は私が個人的に翻訳したもの。

ベトナム語通訳翻訳者 田崎広野

フリーランスベトナム語通訳翻訳者 田崎広野の活動を紹介する個人ページ Trang cá nhân của Tazaki Hirono: Phiên dịch viên Nhật - Việt tự do

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